【芸能】宮沢りえ伝説「ヌードでもどうですか」「連休明けかしらね」母の溺愛と叱責…155万部『サンタフェ』秘話

スポンサーリンク
1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/03/28(日) 22:41:27.47 ID:CAP_USER9
「この度、V6は2021年11月1日をもちまして、解散いたしますことをご報告申し上げます」。3月12日、ジャニーズ事務所はV6の解散を発表した。「これからの人生、ジャニーズ事務所を離れた環境で役者としてチャレンジしたい」と明かし、事務所を退所するメンバーの森田剛(42)と、妻の宮沢りえ(47)の存在に注目が集まった。

宮沢の半生に迫ったノンフィクション作家の石井妙子氏による「宮沢りえ『彷徨える平成の女神』」(「文藝春秋」2019年5月号)を特別に公開する。その才能の虜になった人々が明かした30年の波瀾万丈とは。(全2回の1回目/ 後編 に続く)

(※年齢・肩書などは取材当時のまま)

◆ ◆ ◆

■三井のリハウスCMに現れた「白鳥麗子役の美少女」

改元にあたって、平成を代表する女性スターは誰かと考えたとき、彼女の名前が浮かんだ。

宮沢りえ、46歳――。かつては人気や話題性が先行するアイドルスターであったが、近年は女優としての評価を高めた。映画では『紙の月』、『湯を沸かすほどの熱い愛』で各映画賞の主演女優賞を受賞。舞台でも、故・蜷川幸雄や野田秀樹ら一線級の演出家にオファーをされ続けてきた。今秋には蜷川実花の監督作品『人間失格』の公開も控える。

また、昨年には二度目の結婚をし、母として小学生の娘を育てているが、そうした私生活は極力、メディアに語るまいとしているように映る。

彼女は昭和の終わりに登場し、平成を駆け抜け、今の彼女となった。その軌跡を時代の中で振り返りたい。

三井のリハウスのCMが始まったのは昭和62(1987)年。バブル期の真っ只中で、「一億総中流」といわれていた頃のことだ。「リハウスしてきた白鳥麗子です」と、たどたどしくセリフを語る少女の、可憐な美貌が話題を呼んだ。「白鳥麗子役の美少女」として、世間はまず彼女を認識したのである。

「宮沢りえ」として知られるようになるのは翌年のこと。映画『ぼくらの七日間戦争』への出演で、顔と名前が同時に知れ渡った。作品は管理教育を強いる教師たちに戦いを挑む中学生11名の物語。意外なことにキャスティングされたのは、三井のリハウス以前であったと監督の菅原浩志は振り返る。

「学級委員役だけが最後まで決まらなかったんですが、約1万2000人の中学生に会い、やっとりえに出会えた。自由の女神のように崇高で、皆が自然と従いたくなるような少女を探していたんです。演技経験はなくても良かった。りえを見た瞬間、『ああ、やっとみつけた!』と感じた。あの透明感。こんなにも清らかに育ってくれた少女がいたなんて」

当時のりえはモデル事務所に所属していたものの、「女優になりたい」といった意志は当人にまったく見られず、映画出演を決めた理由も「中学生時代の思い出になりそうだから」というものだった。

https://news.nifty.com/article/item/neta/12113-1015542/
2021年03月28日 12時00分 文春オンライン

引用元: ・【芸能】宮沢りえ伝説「ヌードでもどうですか」「連休明けかしらね」母の溺愛と叱責…155万部『サンタフェ』秘話 [砂漠のマスカレード★]

2: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:41:35.15 ID:0g4b/GXS0
■「高校1校受けたけど落ちちゃった。私、女優になります」

昭和最後の夏休みに公開されると映画は大ヒット。年が明けて平成になり、りえが菅原のところにやってきた。

「突然、りえが『高校1校受けたけど落ちちゃった。私、女優になります』と言い出した。私は映画に抜擢した責任を感じ、『りえ、今からでも行ける高校を一緒に探そう。業界に同じ年の友だちはいないよ。女優になるのはそれからでもいいじゃないか』と説得にかかりました。でも、彼女の決意は非常に固かった。1年前まで女優になりたいなんて、まったく思っていなかった子でしたが」

りえは高校に行かず、16歳で本格的な芸能界デビューを果たすと、すぐさま映画、テレビ、レコードでそれぞれ大評判となる。何よりも話題をさらったのはカレンダーだった。

ヒップに紐1枚をまいた姿は、「ふんどしルック」と言われ世間を騒然とさせた。昭和のアイドルは清楚、清純、未熟さを売り物にしていたが、そうしたアイドル像をぶち壊すインパクトがあったからだ。未成熟と成熟の合間の危うさ。それに戸惑うような、それを自覚しているような、りえの蠱惑的な表情――。

こうした演出、売り出し方を考えたのは、母の光子だった。その関係を間近で見てきた音楽プロデューサーの酒井政利は、こう振り返る。

「光子さんの娘への愛はとても激しいものだった。光子さんにとって、りえさんは愛する娘であり、表現の手段でもありました」

りえを作ったのは光子だとよく語られる。強烈なキャラクターで知られ、りえへの愛は支配的で狂気を含んでいた、と証言する人も少なくはない。「一卵性親子」と称された母子。「りえママ」と時に批判を込めて、時に称賛を込めて呼ばれた。

私はその「りえママ」こと宮沢光子と一度だけ、電話で話をしたことがある。伝説の銀座マダム、上羽秀(うえばひで)の生涯を描いた私の著書『おそめ』が、もし映像化されるのであれば、是非、娘に主演を務めさせて欲しいと出版社に連絡があり、ちょうど映像化の話が舞い込んできたので、私から「りえママ」に電話を入れたのだ。その際、受けた印象は、巷間言われているとおりで、「ああ、なるほど、これが『りえママ』か」と思わされるものだった。

3: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:44:41.58 ID:NilBo6do0
毒親
6: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:47:09.93 ID:/iUhBA4d0
生まれ変わったらだっけ?
7: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:47:24.15 ID:0g4b/GXS0
 夫婦ともに夜の街に働きに行く。りえは家にひとり残される。近所の人が同情して、りえにおにぎりをくれた。それを食べたと知ると光子は激怒した。自分以外の誰かが娘に愛情をかけ、結果、娘がその相手に好意を抱く、それが身を切られるように辛かったのだろう。りえはこうした経験から、いっそう母だけに密着していく。

やがて光子は身ごもり、りえにとっては4歳違いの異父弟を生むが、翌年には離婚する。

光子がりえに自分以外の人間に愛を求めることを許さなかったように、母もまたりえ以外を愛さなかった。小澤側から言い出された離婚の条件を呑み、息子との縁は切った。

8: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:47:48.63 ID:0g4b/GXS0
離婚後、光子は大病をする。子宮癌だった。幸い手術は成功したが、ホルモンのバランスが崩れ別人のように太った。感情の起伏もまた、いっそう激しくなった。この経験が「若い時の美しさは特別なもの。20歳を過ぎれば、りえも太るかもしれない。私のように」という持論に繋がっていく。

銀座や六本木で働けなくなった光子は、都心から離れたところでスナック勤めをし、保険の外交員になった。そして、キャベツ畑が広がる姉の家近くのアパートに移り住むと、小学生のりえを引き取り、ふたりで暮らし始める。

生活は楽ではなかったが、窮状を救ったのは幼いりえだった。美貌に恵まれた少女は近所に住むカメラマンに声をかけられ、小学5年生の時からモデルを始めた。次々と仕事が舞い込み、小学校は休みがちになる。ここまでが昭和の話である。

■麻布のマンション、広尾ガーデンヒルズへ…生活は一変した

平成元(1989)年、りえが区立大泉学園中学を卒業すると、母子は麻布のマンション、そして広尾ガーデンヒルズへと移り住む。生活は一変した。

家庭的でないと思われがちな光子だが、料理の腕前は素人離れしていた。広尾の自宅は光子によって選ばれた「一流」の男たちが招かれるサロンとなった。映画監督、写真家、俳優、イラストレーター、作家。彼らはりえの教師であり、仕事相手だった。サロンに招かれていた菅原は、当時の様子をこう振り返る。

9: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:47:52.69 ID:0g4b/GXS0
「光子さんが選んだ大人たちの中に、10代のりえも交じっていた。映画監督の勅使河原宏さんも、りえをとてもかわいがったひとりでした。ある時、りえを連れて芝居を観に行き、途中で勅使河原さんは席を立った。『舞台が面白くなければ意思表示する。大切なことだよ』と教えてくれたと、りえは言っていました」

松竹のプロデューサーだった奥山和由もサロンのメンバーであり、りえの主演映画『エロティックな関係』『豪姫』の製作に携わる。

「仕事は全部ママが決めて、何かあればママがクレームを言う。ママを悪くいう人も当然、出て来るけれど、圧倒的な戦闘能力で娘を守っていたんだよね。りえちゃんに対しては無条件の愛だった。『ねえ、最高でしょ』って。事実、最高でした。りえちゃんには、すべてを浄化する力と、全身から発するオーラがあって。一方、ママには芸術的なセンスがあった。ビートたけしに映画を撮らせたらいいと僕に勧めたのもママ。興行的に惨敗して、ママに愚痴を言ったら、『そのうち回収できるわよ』と。実際、そうなった。『その男、凶暴につき』『ソナチネ』など、今では名作として評価されています」

音楽では酒井がプロデュースし、デビュー曲は小室哲哉が作曲。酒井の下でりえを担当した元CBSソニーの髙野利幸はこう振り返る。

「ママは音楽にはかなり厳しかった。洋楽が好きで、ある日、デビッド・ボウイの『Fame』を持ってきて、『これのカバーができないかしら』と言われて。『権利関係を取るの、大変だな』と思ったけれど、何とかクリアして3曲目のシングル『Game』として発表した。この曲で紅白に初出場したんです」

紅白でも光子は天下のNHKを相手にバトルをする。NHKにはりえを行かせない、別の場所からの生中継、演出はこちらの案で、という条件をすべて呑ませた。

光子の剛腕ぶりを非難する声も湧いたが、りえへのオファーは絶えなかった。光子はりえの個人事務所を設立し、姉のさつ子とともに経営した。平成元年の本格的なデビューと同時に、飛ぶ鳥を落とす勢いで国民的スターとなった少女。だからこそ、その日、新聞を開いた人たちは驚愕した。

10: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:48:22.43 ID:GuzkajBz0
今で例えると誰が脱いだようなもの?
>>10
ちょっと前の、広瀬すず
20: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:55:26.85 ID:tZlyl1l70
GAMEがデビッド・ボウイのカバー曲だったとはこのスレ開くまで知らんかった。宮沢りえはやっぱりドリームラッシュが1番良いけどな。本人のサクセスぶりと曲がシンクロしてた。
21: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:56:14.73 ID:JsGORc+P0
新聞の朝刊の全面広告に予告なくいきなり
宮沢りえのヌードが掲載された日は
学校や会社がこの話題で持ちきりだった
22: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:56:53.32 ID:URJAByle0
ドリームラッシュの時はめちゃくちゃ可愛かった
23: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:57:25.98 ID:8vo3Kf+40
広末涼子や広瀬すずが18でヌードになるようなもんだろ?
考えられない衝撃だよな
24: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:57:37.19 ID:u+X0vhkQ0
りえママはいまなら虐待で通報レベル
25: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:58:07.03 ID:tZlyl1l70
>>18
あの日、クラスにサンタフェの新聞広告持ってきた奴6人居たの覚えてるわ。
女子生徒も普通に広告見に来て男女問わずスゲースゲーの大合唱だったw
26: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 22:59:00.75 ID:nQb74Cfs0
>>17
それよく言われるけど写真とか一切ないよね
見てみたい
27: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 23:00:29.85 ID:HIwQvcog0
朝日新聞を見ながらオナニーをしたのは後にも先にもあの時だけだわ
なぜかシコらずにはいられなかった
29: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 23:00:58.79 ID:fwVh3AVa0
30年前のことだが衝撃的だったな
ドキュメンタリー性も衝撃だったし、なによりあの美しさ
当時、工藤ひとみや有吉奈生子が好きだったけど、
そんな美しいセクシー女優も敵わない美しさだった
30: 名無しさん@恐縮です 2021/03/28(日) 23:01:35.41 ID:DBj8njUG0
え?宮沢りえって中卒なの?
スポンサーリンク
スポンサーリンク
芸能人
スポンサーリンク
スポンサーリンク
TweeterBreakingNews-ツイッ速!

コメント

タイトルとURLをコピーしました