東京新聞
明治・大正時代の劇作家として知られる島村抱月ほうげつの墓がなくなった—。本紙「ニュースあなた発」にこんな情報が寄せられた。東京都豊島区の都立雑司ケ谷ぞうしがや霊園にあった墓が消えた理由を調べていくと、私たちも人ごとではない現代のお墓事情が見えてきた。
島村抱月 1871(明治4)~1918(大正7)年。坪内逍遥らと新劇運動をリードし、後に松井須磨子と劇団「芸術座」を旗揚げ。トルストイの小説を脚色した公演で、劇中歌として抱月が作詞し、須磨子が歌った「カチューシャの唄」は一世風靡ふうびした。世界的に大流行したスペイン風邪にかかり亡くなった。
◆区作成の霊園マップにも掲載
夏目漱石や竹久夢二ら多くの著名人が眠る雑司ケ谷霊園。10ヘクタールを超える広大な敷地の一角に抱月の墓もあった。
情報を寄せたのは、抱月と一緒に活動した女優松井須磨子の親族で、抱月の顕彰活動に取り組む堀川健仁けんとさん(35)。3月、霊園を訪ね、更地になったのを見て言葉を失ったという。
本紙が霊園の管理事務所に尋ねたところ、「昨年12月に墓の撤去を確認した。撤去の理由までは把握していない」との返答だった。墓を守ってきた人から話を聞くしかないが、霊園側は個人情報のため紹介できないという。
豊島区作成の霊園マップでは、抱月の墓も紹介されている。手がかりを求めて連絡すると、区の担当者も初耳だったようだ。「えっ本当ですか。何も聞いていない。マップを直さないと」
抱月の墓は、故郷の島根県浜田市にもあることが分かった。2004年に雑司ケ谷から分骨されていたのだ。もしや故郷の墓に集められたのでは。墓のある浄光寺に連絡を取った。前住職の竺川紹隆しかがわしょうりゅうさん(79)は「人づてに撤去した話を聞いただけで詳しい話は知らない」とのこと。逆に「何か分かったら教えてほしい」と電話口で頼み込まれた。
あきらめかけていたとき、抱月の親族の1人に接触できた。抱月の妻の血筋に当たるという男性によると、雑司ケ谷の墓は長らく抱月の三女が守ってきた。三女が05年に亡くなると、親族の女性が墓の世話を引き継いだ。その女性が昨年死去。女性の遺族では管理が難しく、島根にも墓があることから「墓じまい」することになったという。
後日、竺川さんに取材した結果を報告した。「雑司ケ谷の墓は抱月の記念碑的な墓。あれだけの足跡を残した方の痕跡がなくなるのは寂しい。相談いただければ寺で引き取ったんですが…」と残念がる。
浄光寺に立つ墓は、三女との生前の約束で寺が管理している。
◆少子化や核家族化で「改葬」増加
世話する人がいなくなって先祖代々の墓を処分する「墓じまい」は近年、少子化や核家族化を背景に目立つ。厚生労働省の衛生行政報告例によると、墓じまいなどによる「改葬」は2021年度、全国で12万件弱。この10年で4万件も増えている。
引用元: ・【ニュースあなた発】都立霊園の著名人の墓が消えた!?理由を探ったら現代の「墓じまい」事情が見えてきた [ぐれ★]
> 墓じまいなら都会より地方のほうがヤベーだろ
地方の墓はそれ自体にはほとんど金がかからないが、都会は下手すると100万単位の金が飛ぶ。
わかってないね世間知らずのカス君
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鈴木まさのりこむらしろう
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