9月7日午前10時過ぎ。中村さんは市内のスポーツクラブのプールにいた。
ピンク色のキャップにゴーグル。花柄の水着。指先には、真っ赤なマニキュアが光る。混雑する週末と定休日を除いて、週4日通っている。
背泳ぎは、ぴんと伸ばした手を後ろに回す。クロールは、左、右、左と水をかいて、息継ぎ。1日で、多ければ背泳ぎ200メートル、クロール200メートル。気分が良ければ、背泳ぎが300メートルになることもある。
背泳ぎのタイムを記者がスマートフォンで計った。25メートルを47秒。日本マスターズ水泳の100~104歳の日本記録である46・2秒と比べても遜色ない。ただ、「そういうのに出るのは嫌。自由に泳いでいるのが一番楽しい」。
スポーツクラブのインストラクター、寺村こずえさん(67)は「いつもおしゃれで、あんな100歳だったら自分もなりたい。みんなが目標にしています」と話す。
中村さんが100歳を迎えた4月の誕生日には、プールのスタッフや常連客で誕生日の歌を歌い、花束を贈った。
働き、3人を育てた若い日
1923年、旧鳥居本村(現彦根市)に生まれた。6人きょうだいの上から2番目。農家で庭師だった父は、中村さんが小学3年生のころに亡くなった。
家計を助けようと、当時の義務教育の6年間の後、親族を頼って大津市の東洋レーヨン(現東レ)で働いた。
その後、東京に転勤。だが太平洋戦争の戦局悪化に伴う空襲を避けるため、彦根市へ戻った。同じころ、同市にできた大蔵省の印刷局彦根工場(現国立印刷局彦根工場)で働き始めた。
20代後半で、時計店を営む男性と結婚。3人の子どもを育てながら、仕事は続けた。
業務は1万円札が正しく印刷されているか検品するというもの。「わりと早く部下を持たせてもらって、辞めようとは思いませんでした」
近所の人に子どもを預けて、仕事に出かけた。60歳になるまで働いた。毎朝起きると化粧をする習慣は、今も抜けない。
水泳と恋人に出会った第二の人生
水泳は知人にすすめられ、65歳のころに始めた。
当初はカナヅチで、「水に入るのも無理でした」。それでも、スイミングスクールで1年ほど習って、背泳ぎとクロールの型を覚えた。
自由に泳ぎたいと、プールで黙々と泳ぐようになった。「今日は面倒だからやめとくか」ということもない。「体調が良くなって、後が楽なんですよ」
元気の秘訣(ひけつ)はもう一つ。20年ほど前、趣味の社交ダンスで知り合った原栄二さん(86)の存在だ。中村さんの夫は40年ほど前に亡くなり、原さんも50代で妻を亡くしていた。
出会ってまもなく、中村さん…(以下有料版で,残り829文字)
朝日新聞 2023年9月18日 11時00分
https://www.asahi.com/articles/ASR9K4S2LR9JPTJB00D.html?ref=tw_asahicom
引用元: ・100歳のスイマー、よく寝て食べて恋をして パートナーは14歳下 [蚤の市★]
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