スマホと自転車さえあれば、自分のペースで稼ぐことができる新たな職は、自由な働き方を望む人だけでなく、失業者や収入が減った人など、様々な事情を抱える人たちの雇用の受け皿となった。
都内のカプセルホテルに生活の拠点を置き、家族の不幸や自身のうつ病に苦しみながら、今日を生き延びるために2022年3月から配達員として働いていた高山さん(仮名・当時30歳)もまた、そんな一人だ。
ところが自由に働ける反面、収入の不安定さを抱えるフードデリバリー。
一体、いつまでこの仕事で生きていけるのだろうか。
様々な不安と向き合いながらも、再起をかけて自転車を漕ぎ続けた男の行方を追った。
「エリートコース」からの脱落
配達中にかつての職場・日本銀行前を通る高山さん
2022年6月。初夏の暑さの中、高山さんのスマホに通知が入る。
注文はアイスクリーム。届け先は、店から3.7km離れたマンションだった。
デリバリーバッグは保温保冷機能があるものの、気温は30度近く、配達は時間との勝負だ。
高山さんは慎重かつ迅速に自転車を走らせた。
無事に届け終えると、報酬は972円。1回の配達にしては割高な額だ。
配達員は原則、企業と業務委託契約を結んだ個人事業主。
その収入は出来高によって決まるため、配達員たちは効率的に配達をこなす工夫が必要とされる。
高山さんも4社のアプリを使い分け、より報酬の高い注文を受けていた。
「稼ぐコツさえ掴めば、自由に働けるし最高ですよ」
注文が殺到する時間帯だけ働き、疲れたら宿で休むというというのが高山さん流の働き方。
ひと月の稼ぎは25万円ほどだった。
都内を縦横無尽に走り回る高山さんの姿は、一見すると元気に自由な人生を謳歌しているような印象を受ける。
しかし2年前まで彼は、配達員をする今とは、程遠い人生を歩んでいた。
神奈川県で生まれ育ち、幼い頃から成績優秀。地元の進学校を卒業すると、早稲田大学政治経済学部へと進んだ。
就職先は、日本銀行。いわゆる“エリートコース”のど真ん中を歩んでいた。
ところが職場では、周囲からのプレッシャーに苦しむ。
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引用元: ・【うつ病】日銀辞めてホームレスにーーフードデリバリーをして生きる日々 他人と働くことへの葛藤
東京など大都市であればね
その上実家の家庭環境がしんどすぎるし
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