父は小卒、母は中卒で、会話で使う言葉も小学生レベルくらいにしないと難しいし、弟は障害者です。でもそういう庶民の生活、また少数者の生活を「肌感覚として知っている」というのは、まちづくりをしていく際には大きな強みになったと思っています。
「親の年収が子どもの学歴に影響する」という統計はありますが、親ガチャが「ハズレ」だったとしても、それで自分の人生をはじめからあきらめるのは、もったいない気がしてなりません。
「うちは貧乏だから」とか、「親の理解がないから」とか言うのは個人の自由です。
でも、そのときに少し考えてみてください。
もし貧乏でなければ、人生はよりよくなったのでしょうか。親の理解があったら、人生は成功したのでしょうか。
本当に「ハズレ」だとしても、「この親でなければ」と不満を言うより、「生まれた家庭環境によって自分の道を閉ざすような社会」のほうに目を向けて、そんな冷たい社会を変えていく方向へと、発想を転換してはいかがでしょうか。
引用元: ・父は小卒、母は中卒の貧困家庭だった…前明石市長・泉房穂が「親ガチャに外れた」という言葉に違和感 [バイト歴50年★]
強いな
はい論破
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