多くの関係者が児玉さんの実家を訪れて仏壇の前で手を合わせた。
この日は朝から、父・昭平さん(74)のもとを、地元の知人らが訪れたり、供花が宅配されたりした。供養する仏壇は、花々や供え物に囲まれた。
事件があったのは1993年1月13日夕方。有平さんは、学校の体育館用具室で立てかけてあったマットの中で亡くなっていた。逆さまになった状態で発見された。
県警は傷害・監禁致死の疑いで7人の男子生徒を逮捕、補導した。そのうち、少年審判では、刑事裁判の有罪にあたる保護処分となったのは3人だった。
有平さんは、生きていれば今年44歳。事件当時の昭平さんより年上となった。
昭平さんは「こんなに長く供養できるとは思わなかった。それでも、有平のことを考えなかった日は一日もない」。
事件以降、毎朝欠かさず、仏壇の前で祈りを捧げてきたという。
手塚治虫作品を愛読していた有平さんは、将来の夢は漫画家になることだった。
小学生のころから作画に励み、雑誌に自分の作品を投稿していた。
作文には「みんなが忘れかけた夢を届けるために働きたい」とつづっていたという。
続きは 朝日新聞 2024/1/14 10:45
https://www.asahi.com/articles/ASS1G00JSS1FUZHB002.html
引用元: ・【追悼】生きていれば今年44歳…「後悔の傷は消えない」 山形マット死事件から31年 [おっさん友の会★]
山形はめちゃくちゃだな
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