「成功体験を重ねていくなか、大切にすべき価値観や物事の優先順位を見失う、そんな状況が発生した」。名古屋市のトヨタ産業技術記念館で記者会見した豊田会長は、相次ぐ不正についてこう語った。
トヨタグループの日野自動車では2022年、排ガスや燃費の検査データを改ざんする不正が発覚。ダイハツ工業では昨年12月、自動車の安全性の試験を巡る不正が計64車種で発覚し、国内向け全車種が出荷停止となる事態に発展した。さらにトヨタの源流である豊田自動織機は1月29日、自動車用3機種を含むエンジン10機種で新たに不正がみつかったと発表し、トヨタも一部車種の出荷を停止した。
不正が起きた3社の第三者調査委員会の報告書では、いずれも短期開発やコスト削減が優先され、現場にプレッシャーがかかる中でコンプライアンス(法令順守)意識が欠如していたことが明らかになった。そのプレッシャーは、販売台数世界トップの自動車メーカーへと成長するトヨタの戦略と無縁ではなかった。
一方、トヨタが子会社に“遠慮する”という微妙な親子関係も影響していた。その典型例がダイハツだ。
ダイハツは1907年設立。「大阪の発動機製造会社」の「大」と「発」が社名の由来で、自動車メーカーとしてはトヨタより長い歴史を持つ。利幅が薄い軽自動車市場で、スズキと激烈な競争を繰り広げるなか、「1ミリ1グラム1円1秒にこだわる」という徹底したコスト意識を培った。
トヨタは67年にダイハツと業務提携し、軽自動車から大型トラックまで全車種をそろえるグループ体制を確立した。だが、「安くクルマを作るという意味では、トヨタがダイハツに学ぶことはあっても逆はない」というのが軽自動車業界の評価。ダイハツの開発・生産能力に一目置くトヨタは、長らくダイハツの独立性に配慮してきた。
98年にトヨタがダイハツの株式の過半数を取得して子会社化すると、両社の関係も変化する。05年にトヨタ副社長からダイハツ会長に転じた白水宏典氏は、軽自動車事業の収益改善と開発期間の短期化を推進。06年度には、それまで多くても年2車種だった軽の新型車を3車種に増やし、33年連続首位だったスズキを抜いて軽の新車販売シェア1位を獲得した。
11年に発売した「ミライース」では、通常は3年以上かかる開発期間を17カ月に短縮。低燃費・低価格のミライースはヒットし、この成功体験が短期・低コスト開発の流れに拍車をかけた。トヨタが16年にダイハツを完全子会社にすると、両社は横断組織「新興国小型車カンパニー」を設立し、ダイハツはグループの新興国向け小型車開発の中核を担うことになった。
「何とかしろ」ダイハツと酷似
ダイハツがトヨタグループの世界戦略に組み込まれるに従い、トヨタにOEM(相手先ブランドによる受託生産)供給する車種が増加。過度に短い開発日程と納期順守のプレッシャーから、車両の安全試験で不正が繰り返された。
その過程で、現場には赤信号が点滅していた。
「開発日程を遅らせることは絶対にNGの風潮」「強みとしての短期開発が限界を超えてしまった」――。ダイハツの第三者調査委員会が昨年12月に公表した調査報告書では、社員へのアンケート結果として、不正が生まれた背景が赤裸々に記されていた。
アンケートでは「管理職は『何でも相談してくれ』と言うが、実際に相談すると『で、どうするの?』と言われるだけ」との声が相次ぎ、第三者委は「現場と管理職の間に断絶とも言える深い溝があった」と病弊を指摘した。
豊田自動織機の状況もダイハツと酷似していた。主力事業のフォークリフトの電動化が進むなか、…(以下有料版で、残り622文字)
毎日新聞 2024/1/30 21:25
https://mainichi.jp/articles/20240130/k00/00m/020/302000c
引用元: ・「世界のトヨタ」見失った現場主権 無茶な開発、社内に漂う諦め [蚤の市★]
コメント