1/30(火) 20:00配信
能登半島地震で壊滅的な被害を受けた石川県珠洲市宝立町の鵜飼(うかい)地区。崩れた家の下敷きになり救出された川辺瑠菜(るな)さん(6)は、避難生活で自衛隊員からもらった1通の手紙を大切に持っている。
【写真】倒壊した祖父母宅(左)の前に立つ川辺瑠菜さん。地震直後は崩れてきた屋根の下で身動きがとれなくなった=2024年1月30日午前11時2分、石川県珠洲市宝立町、田辺拓也撮影
瑠菜さんは1月1日、祖父母の家でテレビを見ながらくつろいでいた時、大きな揺れに襲われた。一緒にいた祖母の三枝子さん(70)とコタツに頭を入れ、揺れがおさまるのを待った。「ガシャン」と高い音で、家中のガラスが割れる音が聞こえたという。
瑠菜さんたちがいた1階部分は崩れ、屋根に押しつぶされた。
コタツの中から、「じいちゃん助けて!」と、外にいた祖父の茂さん(67)に大声で助けを求めた。「待っとれ。助けたる」。茂さんの声が聞こえた。
茂さんが崩れた材木をハンマーでたたき割り、瑠菜さんと三枝子さんをがれきから引っ張り出して救出した。
瑠菜さんは現在、両親と断水の続く自宅で生活している。
そんな中、瑠菜さんは一つの楽しみを見つけた。自衛隊のお風呂だ。
地震から1週間が過ぎた頃から、瑠菜さんの家族は避難所となっている宝立小中学校に設営されたお風呂へ通っている。
お風呂に通ううち、瑠菜さんは運営担当の「自衛隊のお姉さん」と話すようになった。
「おなまえは」「年はいくつ」。そんな話から言葉を交わすようになった。
母の香菜さん(32)によると、自衛隊員の女性は決まって、香菜さんが髪を洗うため、瑠菜さんから目を離さざるをえないタイミングで話しかけてくれたという。
発災直後、暖もとれずお風呂に入れない避難生活も経験していた瑠菜さんは、温かい湯船がうれしかった。そして、お姉さんと話すのが楽しかった。いつしか、「将来、自衛隊員になりたい」と口にするようになった。
10日ほど通った後、お姉さんは拠点となる駐屯地に戻ることが決まった。
瑠菜さんは「まいにちありがとう」「きもちいいです」と感謝の気持ちを込めた手紙をお姉さんへ書いて渡した。
お姉さんが帰る前、瑠菜さんはひらがなで記された返事の手紙をもらった。
「じえいかんになりたいって おてがみにかいてあって とてもうれしかったよ」「じしんがあって こわいとおもうけど ままのヒーローになってあげてね るなちゃんなら できる」
もらった手紙は瑠菜さんの宝物になった。持ち歩くピンク色のリュックに、大事にしまっている。(田辺拓也)
引用元: ・【能登地震】崩れた家から救出の6歳「自衛隊のお姉さん」からもらった手紙は宝物 [少考さん★]
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