しかし、自ら政策を実行できない立場になる政治家が出す談話について、その影響と責任を考える必要がある>
ー前略ー
韓国との関係が悪かった晋三元首相の長年の政敵であり、歴史認識問題で融和的な石破首相は、韓国では評判が高かった。
全国戦没者追悼式の式辞では、13年ぶりに「反省」の語を使い、植民地支配批判を封印した李在明(イ・ジェミョン)大統領と
「呼応」した形になった。
その石破首相が「戦後80周年メッセージ」を出すことに意欲を見せているという。周知のように首相はかねてから自らの歴史認識を
示すメッセージを出すことに意欲を見せていた。しかしその意欲は参議院選挙での大敗に始まる政治的混乱の中でくじかれ、
終戦記念日である8月15日と、日本が降伏文書に署名した9月2日の二度の機会を逃した。
石破首相が三度にわたって自らの「戦後メッセージ」を出そうとする背景に、歴史認識問題に関わる矜持と、日本社会の右傾化への
懸念を見ることは難しくない。とはいえ、ここで大きな疑問が残る。退任する政治家が、重要な政治的問題にメッセージを出すことの
意味である。
退任直前の政治家が歴史認識問題に対して大きなメッセージを出すことには、よく知られた先例がある。
1993年8月4日に出された慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話、いわゆる「河野談話」である。
当時は宮沢喜一政権下の自民党が小沢一郎、故羽田孜両氏らによる離党で過半数を失い、続いて行われた衆議院選挙後の多数派工作にも
失敗したことで、自民党の下野がほぼ既成事実化した状態にあった。河野談話はこのような状況に置かれた河野洋平氏が、
官房長官としての最後の記者会見の場で示したものである。
この時点で河野氏や故宮沢元首相が、談話に沿った政策を実行することが不可能なのは明らかだった。であれば、なぜに河野氏は
敢えて談話を出したのか。宮沢政権下での慰安婦問題の解決を目指した河野氏の矜持や、自らを政権から追い落とした小沢氏らへの
強い不信感が指摘されている。
■「自ら守れない談話」を出す責任
それではこの「自らが守ることができない談話」は、その後にどのような影響を残したのか。第一に指摘すべきは、談話が示した
日本政府の見解が、現在まで慰安婦問題に関わる公式見解として維持されていることである。その意味で、河野談話は日本政府の
慰安婦問題への姿勢をつなぎとめる「碇」の役割を果たしている。
とはいえ、この談話にはもう1つの側面がある。それは同じ自民党内部において河野氏と対立する政治家らにとって格好の攻撃目標に
なったことだ。彼らにとって河野氏や宮沢氏は失政により政権を失った「戦犯」であり、にもかかわらず河野氏自身がその後
自民党総裁の地位を占めたことは大きな反発を生んだ。90年代半ばに始まった若き晋三氏らによる慰安婦問題の提起は、
一面では河野氏を中心とする「宏池会」への反対運動だった。
こうして河野氏の矜持とは裏腹に談話は政敵たちの反発を生み、それが慰安婦問題のバックラッシュ、反動の一因となる。だとすれば、
退任直前、自民党総裁選を目前とする中での石破氏の「戦後メッセージ」が同様のバックラッシュを生む可能性はないのだろうか。
石破氏は自らのメッセージをいかにして守ろうと考えているのか。「退任寸前の政治家のメッセージ」が持つ意味について、
改めて考える必要があるだろう。
9/18(木) 7:31配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f00b1d6d96d5e1bc77d67cfa129c6daa008c28f
引用元: ・【木村幹コラム】 首相退陣目前の「石破談話」は、「河野談話」の二の舞になりかねない [9/25] [仮面ウニダー★]
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