万博のパビリオンに生まれ変わった旧中出分校、開幕前に記者が見学 河瀬直美さんにインタビュー【河瀬さんにインタビュー】 「中出は美しい」子らは自信と誇りを
メディアデーの日、いのちのあかしでは、クリエーティブディレクターの井口雄大さんの説明や「世界中の人が、あなたの言葉を待っているとしたら、何を伝えますか?」をテーマにした対話の実演、エンディングムービーが流された。
パビリオン会場で、その様子を見ていた河瀬さんにインタビューをお願いすると、気に入っているという同分校の屋根瓦と通気穴がよく見える場所に案内され、気さくに話してもらえた。
同分校があった中出地区について、河瀬さんは「集落に入ったとき、美しいと思った」といい、華やかな会場にある生まれ変わった校舎の姿を見て、「みなさんが暮らす山里が素晴らしいと再発見してもらい、子どもたちには自信と誇りを持ってほしい」とメッセージ。
また、河瀬さんに招かれた三和町の住民ら20人が5日、テストランとしてパビリオンをひと足早く見学した際、小学生から手紙が届けられた。それを読み、「校舎の記憶とともに、私というものを子どもたちの記憶に入れてくれたことがうれしい」と喜んでいて、「福知山からぜひ来ていただき、一緒に“子どもたちに渡す未来”を考えていきたい。会場で待っています」と来場を呼びかけた。
シンボルツリーのイチョウの木 夢に出てきて移植を決断
パビリオンの中心には、分校にあった推定樹齢100年、高さ12・5メートルのイチョウの木が移植され、シンボルツリーとして存在感を放つ。当初は伐採される予定だったが、河瀬さんの夢にイチョウの木が出てきて「切らないでほしい」と言ったことで、移植を決断したという。
昨年10月に運び込まれ、分校にあったときと同じ方角に合わせている。そのイチョウは春を迎えて芽吹き始め、「いのち」が守られたことを実感できる。
テストランで分校を見学した中野楓さん(30)=中出=は閉校前の最後の1年間を通った。「分校での1年間が一番楽しかった記憶があります。パビリオンで活用された分校を実際に見て、面影も残っていて、とても誇らしかったです」と喜んでいた。
三和町中出、西松、田ノ谷地区の1、2年生が通っていた同分校。昭和5年(1930)に建てられ、平成14年(2002)に閉校し、ひっそりとたたずんでいたが、令和に新たな「いのち」を吹きこまれたパビリオンとして、10月13日までの期間中、脚光を浴びることになる。
引用元: ・中出の校舎を万博に移築「中出は美しい」万博で新たないのちを吹き込む [632443795]
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